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“終戦記念日に思うこと”

太平洋戦争(日本では大東亜戦争と呼ばれている)に突入して行った日本のターニングポイントは、いったい何処だったのでしょうか?

一説には大正4年に大隈重信内閣が行った “対華21ヶ条の要求” によって中国に一種の不信感が生まれた。ここがターニングポイントとなったと言う人がいます。
いわゆる、中国における植民地的支配を強固に主張した要求文であり、これでアジアの盟主としての信用を失ったといわれています。

一番多く言われているのが、日清・日露戦争で勝利したことによって軍部が力を持ち、後の陸軍によるクーデターを文民が抑えられずに戦争に突入した。
要するに日清・日露戦争がターニングポイントになったと言われています。

私は、突拍子もない考え方(あくまでも個人的な)として、坂本龍馬が暗殺された時から日本は太平洋戦争に突入していったのではないかと思っています。
私は巷によくいる坂本龍馬の信奉者でもないですし熱烈なファンでもありません。坂本龍馬と言う人の生き方を見ていると、ふとこの様に思うのです。

皆さんは亀山社中・海援隊と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか?
坂本龍馬が作った商社で、海援隊は日本初の株式会社、と言われています。
今回、龍馬の詳細な歴史の部分は関係ないので端折ります。
簡単に言うと坂本龍馬は “貿易によって国を強くしていこう” と考えた人だと私は思っています。
もっと分かりやすく書くと、龍馬と言う人はあの時代に、日本が戦後(太平洋戦争後)復興したのと同じような、貿易による経済発展をすることを既に考えていたと思うのです。

龍馬の名言に以下のような言葉があります。
「地球を動かしているのは、思想ではなく経済だ。」

坂本龍馬の考えはどうだったのでしょう?想像ですが
「富国強兵なんぞ今の日本に関係ない。エゲレス、メリケン、いやいや世界を相手にいっちょ金でも稼がしてもらうか」
てな感じでしょうか。

明治政府を牛耳っていた薩長土肥の元藩士達とは、圧倒的に違ったスケールで世界を見て、日本のあるべき将来の国家像を見据えていたのではないかと思います。
それだからこそ逆に明治政府を起こした人たちは、坂本龍馬を恐れていたのではと思います。
欧米露などの列強国を相手にするに 「富国強兵」 を国策とし強い軍を組織しなくてはならない。つまり、坂本龍馬の思想は “危険分子” と写ったかもしれません。

坂本龍馬がこの様な考え方を持った一番の要因は、勝海舟の弟子となった時からだと思います。
勝海舟のスケールの大きさと坂本龍馬のスケールの大きさはとてもよく似ていると思います。

「坂本龍馬はあそこで暗殺されたからこそ今もこんなに語り継がれるのだ」と言う人がよくいます。確かに、この後の時代を生きていても歴史に埋没していたかもしれません。
でも、私の勝手な想像で “もし” があったとしたら、日本は戦争などせずもっと早い段階で経済大国になっていたかもしれないと思うのです。


あくまでも、私の勝手な妄想ですが・・・・・・・・

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